医師は生身の人間だということ(草稿段階)
澤田石です。(jsawa@attglobal.net)
【女性医師を職場で活かすために】「その1」について発言しようと、文章を準備してましたが、どうも違和感があり投稿することができませんでした。よくよく考えると、ありきたりの意見で何の解決にもならない精神論だと結論し、文章をすべて破棄しました。
「その2」での本田先生のコメント(以下に〇で示す)を見てはたと膝を打ち考察しました。
〇特に私が印象に残ったのは、「主治医」としてのプレッシャーから
一般病院での勤務をあきらめたというお話でした
〇主治医制、実はこれが現在の勤務医の長時間労働だけでなく、一時も
病院から開放されない、という心理状態に大きな影響を与えているのです
さらに、「その1」にある
1、女性医師は年々増加している。2004年では医師全体の16.5%が女性医師。
2、2006年度医師国家試験合格の女性の割合32.7%。今度、さらに女性が増加
する可能性が高い。
【1】ナースについての子育て支援の現状と限界
私の見ている限りのことだけ述べます。自分の勤務する病院の25%ほどは回復期リハビリテーション病棟で他のベッドは医療保険またか介護保険の療養病棟。ナースやCW(介護福祉士)の方々[以下、"ナースら"」の子供達のための保育所は同一法人が運営しています。
保育所はもちろん24時間体制ではないので、子持を持つナースらは日勤は支障無くできますが、夜勤はナースらの親の支援がないとできません。それでも小さい子供がいないナースらの数がどうにか足りてはいるので夜勤が回ってはいます。しかし、だんだんと子持ちのナースらの比率が増加してきており、ちいさい子供をもたないナースらの夜勤回数が増加してきているように思います。残念ながら数値では示す事はできませんが。
急性期病院の場合は、おそらく私が勤務する療養型病院とは異なり、小さい子供がいるナースらの比率ははるかに低いので、保育所を併設しているところは少ないのではないかと思います。
(主として急性期)病院における医師の年齢構成とナースらのそれ、非病院の一般的な職場とで比較するとこんなところになるのではないでしょうか。
病院の医師: 20〜30代が多いが、40代もそこそこ、50代以降はごく少ない
病院のナースら: 20〜30代が中心、40代以降はごく少ない
一般の職場: 20代から50代まで、だんだんと年代毎の割合が減少はするが
病院のように40代半ば以降の層が極端に少ないということはない
なぜ、一般の職場と比較して病院の年齢高齢がこのように偏るかは簡単な理由だと思われます。
病院の医師の場合: 医師はある程度の経験を積むと開業するからであり、この数年は不当なクレームと訴訟が増加したために開業に以前よりも開業に向かう医師の年齢がより若くなり、昔なら病院で体が動くまで頑張ったはずの実力ある医師も開業に流れているわけです。
病院のナースらの場合: ナースらの大多数は女性なので、たとえ子供が大きくなって、保育所にあずける必要がなくなっても、40代にもなると夜勤は体力的にきついため、ほとんどが病院から退職するしているのだと思います。40代以降のナースらの大多数は管理職の道を選択した方々で、ナース全体の中での比率はごくわずかで、管理職のナースらは病棟での夜勤はしません(例外はあるでしょうが)。
このように(医師もナースらもということ)、一般の職場と比較して、病院というところは、元々若い戦力中心で動いてきております。当然、若い(20代〜30代)人々は睡眠不足への耐久性が優れているから、病院における若い人々の絶対数が不足しない限り、少なくとも夜勤や当直の体制はなんとかなるわけです。若い医師の中には365日オンコール、毎週一度は40時間連続睡眠なしでも平気な人が多い。
▼医師が一人あたりの患者に費やす間接業務量の増大
1)診療についての説明、説明の証拠となる書類作成、カルテ記載などに要する
時間が増大するばかり
2)「必要な検査をしなかった」と後から追求されて訴訟になるリスクが無視できない
ほど大きくなったため諸検査の実施量が増加し、検査の待ち時間と結果の説明
に要する時間が増大
3)以前よりはるかに数が増加したクレーマーに対処するための時間の増大
▼医師における年齢構成・男女構成の問題
1)若い医師を指導する立場の30代後半以降の中堅どころが減少傾向
2)若い医師の中で女性の比率が年々増加している
3) 2) のため若い男性医師および中堅どころへの負担が増加
4) 3)が更に、1) の傾向を加速???
4)については確かな証拠がないので ??? としましたが、女性医師の増加傾向はこのような問題をかかえていることは確かなのでないでしょうか。もちろん、女性医師個人の医師としての資質の問題では全くなくて、妊娠・出産をするという女性の本質からくることであり、避けられることではありません。
医師の年齢・男女構成においてはこのような構造的な問題があるように見えますが、次に病院勤務のナースの年齢構成では同じような構造問題はないので考えてみます。
▼ナースらの年齢構成・男女構成の変化傾向
1)男性ナースらの比率が増加傾向
例えば--- http://library.pref.oita.jp/docs/reference/r41.html
平成4年から16年への男性看護師の就業比率は2.4%が4.2%に、
男性准看護師は4.4%が5.9%にそれぞれ増加しています。
この表では、男性看護師数は平成14年から16年にかけて約21%の
大幅な伸びをしていることなどもわかります。
たった一つの証拠ですが、病院に勤務している人々であれば、男性ナースらの比率が増大していることは明白な事実とみなしていると思います。ナースらにおける男性比率の増加は、子育てのために夜勤ができにくくなるナースらの減少をもたらすという明白な効果が第一にあります。私が勤務する病院においては、ナースら全体の年齢の平均値も中央値も上昇傾向にあると実感していますが、男性ナースらの比率増大が夜勤をできる女性若手ナースの減少を多少なりともおぎなっているように見て取れます。急性期病院でも男性ナースの比率増加は同様の効果があるのではないでしょうか。
結論として、ナースらの年齢構成・男女構成の変化傾向は、医療崩壊の問題とは関係なく、「女性医師を職場で活かすために」という課題ともあまり関連はないということになります。ただし、大いに参考にはなると思います。
■「医師における年齢構成・男女構成の変化による問題」"および"
「絶対的医師不足問題」(医療崩壊)を解決する方法は?
当ブログの文脈といいますか、本旨からすると「女性医師を職場で活かすため」だけに焦点を絞るわけにはいきません。「女性医師を職場で"もっと"活かす」だけでは、焼石に水で医療崩壊の加速度減少には結び付かないと思われます。本質的な解決の方向は、次のようなことではないでしょうか。
"★"印の数は私の考える優先度を表わします。
★★★★ 病院という組織が医師を生身の人間とみなして扱うこと
一般市民は医師を生身の人間とみなして扱っておりません。一般市民は機能を果たす道具として医師を見ております。これはそう簡単には変わりません。一般市民がそうだけならまだしもです。マスコミ、警察、検察、裁判官らは一般市民の医師や医療に対する偏見をあおりたて、攻撃するばかりで、一般市民はさらに偏見と攻撃を強化しております。では、医師が勤務する病院という組織はどうでしょう。組織としての病院くらいは、医師を生身の人間として扱ってほしいと思う医師が大多数ではないでしょうか。
・医師でなくてもできる非専門的な雑務を非医師が代行するような努力を
している病院は極めて希 (近森先生のところなどは例外。例えば、私が勤務
する病院で五年前から頼んでいるのは、「保険会社の診断書等にはせめて事務
員が、住所、氏名、年齢などは書いてくれ」。いまだに「忙しいからだめ、
筆跡が異なるから駄目」です)
・不当なクレームがあったり、不当な訴訟があっても組織の問題としてとらえる
のではなく医師個人の資質の問題として、病院としての責任を回避する病院長が
大多数
・大多数の病院における看護部長は看護部として医師の仕事を助ける意思をまったく
持たず、可能な限り責任を医師に押し付けたがる
・その他(あまりにも多いのでもう言いません。)
こんなところが現実。
「病院という組織」は人間ではありません。つまるところ、病院の院長、看護部長、事務長らの運営にかかわる人々がすべての医師を体力と認知能力(注意力、判断力等)に限界を有する人間として扱うことが、時間的にも本質的にも最優先なのではないでしょうか。私がこれまで提唱してきたミクロ的な解決方向として次のような方策を実現する努力を各病院が開始するべきだと提唱いたします。一言で言えば《主治医制度》の廃止。
□院内の話し言葉でも文書でも主治医という呼称を禁止し、主担当医ないしは第一
担当医または担当医とする
□ある医師が「365日24時間オンコールを希望」しても主治医という呼称は認めない
□「担当医」が病院内におり、なおかつ勤務時間内の時のみに「担当」すると
患者・家族に話し言葉と文書で「担当医」が説明する。その文書においては
病院の規定と明記。
□「担当医」の休日や勤務時間外においては、日当直医ないし同一診療科の
オンコール医師が担当することを患者・家族に話し言葉と文書で「担当医」が
説明する。その文書においては病院の規定と明記されている。
□「担当医」が365日24時間オンコール体制であると、担当医が肉体的および
精神的に疲弊してしまい、医療ミスが増加することに関して、
病院としての文書を用意し、担当医が入院時に説明する
□急変などの場合、日当直医師ないし同一診療科の医師が最期までみる場合が
少なくないことを入院時に担当医が説明し病院としての文書を手渡し
□各科において夜間・休日の入院患者に関する第一オンコールを順番に回す
□緊急手術が有り得る外科等においては、第二オンコールも順番に
□医師3名を必要とする緊急手術が有り得る科においては、第3オンコールも
□病棟患者に関しては、当該診療科のオンコールの医師ではなく当直医師を
最初にコールすることを原則とする。例外はできるだけ明文化。
□当直医師は必要ならば速やかにオンコールの医師に連絡。当直医師がオンコールの
医師に連絡は不要と判断した場合でも、看護師が必要と判断したらためらうこと
なくオンコール医師に連絡
▼このようなことを実施するため必須なこと
a) 各診療科内でのチーム医療の推進
単に読める字を書くだけでなく、特定の診療科内での標準化、パスの作成・活用etc
b)各診療科の垣根を超えてのチーム医療の推進
他科の医師を指導し、他科の医師による指導を受け入れて、互いに勉強すること
c)日勤に続いての当直明け勤務の原則禁止
上述の政策は当直医の仕事量を飛躍的に増大させるので、文字通りに一睡もできない
ことが多くなるであろうからです。
c)ナースに対する各診療科医師による教育の強化
各診療科の医師がナースに対して、どんな条件では例外的に当直医師とオンコール
医師を同時にコールすべきか、オンコール医師のみを最初にコールすべきかなどに
ついて
★★★ 患者・家族が医師を生身の人間とみなすようになること
このための方策は別のところで述べましたが、改めて述べてみます。「明示する」というところは、目につくところに掲示し、同時に、文書で"事務員による"説明ありで手渡しするという意味です。事務員の説明は機械的ではだめで、生身の人間の言葉で説明する必要があります。そのためには、当然教育が必要で、説明することは資格なしでできないようにしなければなりません。資格を認定された事務職が説明して手渡ししたら、一回千円くらいは支払うべきでしょう。
以下に示す方策は熟慮に熟慮を重ねたものではありません。自分で見返してもこれは行き過ぎかも知れないと思うものもあります。しかし、基本的な方向性は妥当ではないかと思います。これらについては厚労省のマクロ政策の変更も「通達」ないし「通知」も必要ありません。
□病院長の名で、安全な医療ということは未来永劫有り得ないことを明示する
□病院長の名で、日本には先進国と比較して医師がこれだけ足りなく、
医療費はこれだけ安いことを明示する
□病院長の名で、医師不足、医療費不足のため、安全のための望ましい諸方策
のうち具体的にこれやあれはできていないと明示する
□病院長の名で、医師の過酷な勤務状況の概況を赤裸々に明示する
□病院長の名で、医師が睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される
条件を明示する
□病院長の名で、睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される医師が
診療(特に危険を伴う検査、および手術をすることによる危険を明示する。
その文書においては、必ずバス、電車、飛行機などの公共輸送手段の運転手が
連続32時間勤務をするようなことは危険が高いため禁じられていることを明記。
□病院の玄関、外来、病棟に医師名を年齢と出身地付きで表示して、
何曜日(何月何日)は「日勤、当直、そして日勤」の体制が明記する
□病院長の名で、睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される医師が
注意不足によるミスを犯す危険をかかえたまま、手術ないし危険を伴う検査
をすることに関して、患者・家族に対して「同意する」、「しない」、
「わからない」のどれかを書面で選択するように求める
□病院長の名で、医師が睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される
条件で検査ないし手術をした場合に、実際に事故がおきた場合、責任は
医師個人ではなく医師の数を確保できない病院にあることを明示する
□病院長の名で、病院が十分な医師数を確保できない主要な原因は日本国に
おける医師自体の絶対的な不足にあることを明示する
□病院長の名で、日本国における急性期病院における医師不足の原因は、
第一に厚労省の政策であり「マスコミ、警察、および司法」が医師個人に
過度の結果責任を負わせる傾向にあることが第二、
「マスコミ、警察、および司法」の姿勢に影響された一般市民による提訴
の増加が第三であることを明示する
□病院長の名で、「日勤につづく当直」を終えて、手術をする医師が執刀医となる
ことに同意するか否かを術前に確認する。「日勤につづく当直」後の医師が
執刀することを患者・家族が容認しない場合は、そのように調整する
□病院長の名で、事前に予定された手術ないし危険を伴う検査を医師が
万全の体調でおこなうはずだったのに、前夜のオンコール出勤や緊急手術
のために、結果として極度の疲労をかかえた状態になった場合は、
手術ないし危険を伴う検査を実施する当日の朝に文書での同意をとること
なくして、実施しないと明示
□病院長の名で、睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される医師が
術後管理を担当することに同意するか否かを術前に確認する。
□病院長の名で、安全な医療行為というものは決して有り得ないことは昔も
今も、未来永劫変わらないが、医師不足が年々深刻化しているために
医療行為の危険が今後は増大しかねないことを赤裸々に述べて、
市民(患者・家族)の立場で、市民の生の言葉で、政治家、行政、
報道機関などに、先進国並みに医師を増員し、医療費を増やすように
要求することを御願いしますを明示
□第一線の医師は、日勤に続く当直明け勤務の際に、病棟、外来において
患者・家族に対して、必要と思われる時はためらわずに「昨日は朝六時に起床し
て、病院に八時過ぎに来ました。昼間の仕事を終えて当直があり、救急外来の
ため眠っておりません。こんな状態ですが、頑張りますので宜しく御願い
します」というような挨拶をする。(私はけっこうこんなことを話してます)
□第一線の医師は、外来での初診患者、新規入院患者ら初対面の方にできるだけ
人間対人間の言葉をかける: 例えば、「もしかしてご出身は〇〇地方ではあ
りませんか」とか「これまでの病気のことなどよくわかりました。ご参考までに
趣味とか余暇の過し方についても差し支えなければお話し下さい。場合に
よっては病気を適切に管理するために、趣味活動を少し制限した方が
望ましい場合もありますので」 こんな糸口から、医師対患者という
「機能提供者」対「機能利用者」という契約関係とは異なる、人と人との
会話が始まることはよく経験されること。意識してこのような言葉かけを
することにより、人と人としての結び付きが強まります。医師が患者を
生身の人間としてみなければないないのは言葉としてはそうですが、
あまりにも患者が多いと、なかなかそうもいきません。だからこそ、
純粋に診療を目的とする会話以外の人と人との会話はとても重要だと
思います。
★★ マスコミ、警察、法律家が医師を生身の人間とみなすようになること
マスコミ、警察、法律家は、《構造的に》とても不幸な人々だということを我々医療人は以外と意識していないのではないでしょうか。このことを少し詳しく解説してみます。
▼医療人は、自らの存在意義を自らの行為だけで他の誰によることなく自ら証明できる
医療専門職は患者に対する最善の医療を提供すること自体で自らの存在証明を日々得る事ができます。言うまでもなく、患者や家族が「ありがとう」の一言を言ってくれたら大変な励みになり、激務にも耐える気力がわいてきます。患者や家族が「治って当然、正常に生まれて当然」とみなし、何もいわなくても、最善の医療を提供し治療に成功した場合は医師らは自ら満足で、やる気がわいてきます。最善の努力をしたにもかかわらず、残念な結果であった場合、「もっと技量を高めよう、もっと勉強しよう」とかえってやる気がわいてくることが少なくありません。良い結果が得られた時より、むしろ望ましくない結果になった時に、特に医師の場合は気合が高まることが多いと思います。一時的に落ち込むことはあるでしょうが。
・人間というものは自分の成功から学ぶことは原則としてできません
・人間というものは他人の成功から学ぶことができなくはありませんが困難
・人間というものは自分の行為の「失敗や望ましくない結果」から、最も多く
学ぶことができるもの
・人間というものは他人の行為の「失敗や望ましくない結果」からも、学ぶこと
はできますが、そのためには意識的な努力が必要
「医師は自らの存在意義を自ら判定することができる自律的な存在」であるともう一度強調いたします。
ところが、報道人、警察、および法律家はどうでしょう。
▼報道人、警察、および法律家は、自らの存在意義を自ら判定したり
証明することが基本的にできない!!
▽新聞記者などの報道人
新聞記者の少なからずは理想に燃えて入社すると推察されますが、新聞社の記者に対する教育方針は「他の新聞で取り上げたことはウチも報道するべし。他の新聞がある人物を攻撃するならウチはもっと攻撃すべし。他の新聞ではまだ発見していないある人物を攻撃するネタをさがすべし。記者独自の視点は排除すべし。バスに乗り遅れてはいけないが大原則!」ですね。
新聞記者は"一見したところの"あるいは"他の新聞がそのように報道したところの"「被害者の感情に擦り寄る」ことで「社会的正義に荷担」していると自己欺瞞をおこない、偽善と意識するしないにかかわらず、そのようなことが新聞記者にとっての存在意義(生きがい)になっているように思えます。
新聞社(新聞記者)は建前上は「真実の追求」を第一としてますが、真実の追求にはさほど関心がないと思います。新聞社は、何か遺憾な事象があった場合に、「他社」よりも「一刻も速く犯人を探すこと」を最優先します。「他社」が「本社」よりも早く「犯人を見つけた」というスクープ記事を流すと、「本当の犯人」を探すという時間のかかる努力をするのではなく、「他社」が報道したところの「犯人」についてより詳細な情報の入手につとめ、「犯人」が「有罪」である「他社」が見つけてない「証拠」を血眼になって探します。その「証拠」があやふやでもともかく報道してしまいます。並行して、「被害者」の感情を大々的に報道します。「被害者」は新聞に書かれた「犯人らしき人物」が、新聞に書かれたという理由で、「真犯人」と思い込んでしまい、「被害者」が新聞記者に語る内容はますます断定的・一方的になり、新聞報道自体があおった「被害者」の激烈化した感情を報道することにより、いわゆるマスコミの暴走が始まります。ついには「3時のあなた」的なテレビ報道に取り上げられるようになり、事実に関して新聞の報道以外にほとんど材料を持たない自称医療問題評論家やらが、一方的に「犯人」を非難する下劣な事態になってしまう。こうなると、マスコミの暴走は極点に達し、何が事実か、何が推測か、報道人にすらわからなくなります。
報道人は暴走している最中に、「被害者の味方」をしている、「犯人」を攻撃しているという自覚で、「自らの存在意義」に大いに満足していることでしょう。ある事件が極点に達すると自然と下火になり、報道人はまた新たな熱狂の対象を求め、新たな対象が見つかると、1つ前の暴走で攻撃した「犯人」のことは脳裏からなくなります。「犯人」とされて傷ついた人が本当に「犯人」なのか、時間をかけて詳細に調査するようなことは、少なくとも新聞やテレビの各社はまずしません。
▽警察
警察が新聞報道、テレビ報道を極度に重視していることについては多言を要しません。彼らは、報道による支持や「被害者」の感情への擦り寄りで自らの存在意義を証明することに熱心になってしまいます。これは心理学の教科書を読まなくても容易にわかることです。報道機関が「警察は被害者の救済に熱心でない」とか「犯人の疑いが極めて高い人物をなんで放置するのだ」と非難することを極度に恐れるため、非難される前に「報道された犯人らしき人物」の取り調べを開始する傾向にあります。非難されたら一刻も早く捜査に着手する傾向にあります。
報道されない場合は、「被害者」の訴えに順応して、マスコミに先んじて行動することで、被害者を救済しているという自らの存在証明を行い、マスコミに知らせて、マスコミによる支持を得る傾向にあります。警察は「被害者」にすりより、「マスコミ」に誉められることくらいしか、良い仕事をしていると自覚できる場面があまりない。
▽法律家
弁護士は「被害者」の「救済」が仕事。「真実を明らかにする」ことよりも、被害者に有利な証拠のみを収集して、勝つことが第一。彼らは「被害者」の感情に擦り寄り、訴訟で「勝つ」ことでしか自らの存在意義を証明できないので、とんどもない訴訟が増加し続けます。弁護士はマスコミを見方につけることの巨大なメリットをよく承知していますから、情報操作を巧みに行います。どうしようもないですね。
裁判官。やはり自らの存在意義を証明することは自らできない人々です。昔は「真実の追求第一」の裁判官も少なくなかったと思います。今は、希になってしまったようです。裁判官は「被害者」の「救済」およびマスコミによる賞賛(非難されないこと)による以外に、自らの存在意義を確認できることがほとんどなくなってしまっていると私は思います。
▼報道人、警察、および法律家の過失を追求する装置が弱い
報道人、警察、および法律家の過失による被害者は自ら行動しない限り放置される
報道人、警察、および法律家の過失による被害はめったに補償されない
ごくごくまれに、新聞がある個人に対する明々白々な誤報道をした場合に、新聞の片隅に小さく「訂正記事」が載ります。名誉毀損で裁判となり、誤報の責任がとらされることはあります。名誉毀損で提訴したという報道はよくありますが、提訴した人は「有名人」がほとんどで、少なくとも「それまで普通に仕事をしていた無名の」医師が報道機関を名誉毀損で訴えたということを自分は知りません。いわゆる「有名人」は経済的に余裕があるからそうするということもありますが、「有名人」に関しての報道は明白な中傷と証明できる場合が多いことも「有名人」によるマスコミに対する提訴が多い理由だと思います。
医師の場合はどうでしょう。経済的には提訴する余裕はあると思いますが、「被害者」の感情がマスコミに大々的に報道され、警察が被害者とマスコミに迎合して操作に着手してしまったら、名誉毀損罪など成立するはずないのではないでしょうか。そもそも「被害者」の感情を叙述する言明を報道すること自体は、マスコミによる名誉毀損になるはずがありません。被害者の感情表出自体が「名誉毀損」になりそうにも思えません。医師には名誉毀損罪という手段は事実上ないのでしょうね。
日本中の医師の多くが注目している福島の産婦人科医師に対する刑事裁判のことを考えるだけで、マスコミ、警察、法律家が如何に安心、安楽、安全な立場にあることかよくわかります。最終的に(最高裁にまでいくかも知れません)、福島の産婦人科医師が無罪になったとしても、マスコミ、警察が罪に問われることが有り得るでしょうか。もちろん、裁判官が「不当な判決」ということで「罪に問われる」ことは有り得ません。裁判官のそのような地位は当然のことで、今後もそうあるべきでいいのです。
本質的な問題は警察と裁判官がマスコミによる「好意的報道」に生きる意味を見出しており、マスコミによる「非難」に過度に敏感になっていることなのです。この本質的な問題は近未来においては解決不能と言っていいでしょう。我々、普通人がマスコミ批判をすることは簡単ですが、マスコミには「報道の自由」および「国民の知る権利」という金科玉条があり、実際に警察も裁判官もマスコミを敵に回す勇気を持ちません。
現代の諸国家の中で特に先進国では(日本はもちろん、欧米もそう)においては、立法、行政、立法の三権分立が確立しております。そのことは非常に良いことです。ところが、第四の権力であるマスコミが、司法、行政、立法の3府に対してあまりにも強い影響力を持ってしまいました。第四権力たるマスコミをマクロ的な政策(マスコミの報道を規制すること等)である程度規制することは必要と思いますが、ここではその方法について述べるのは控えます。
あまりにも長くなりました。もう少し。
私は思います。福島の産婦人科医師が最高裁で10年後に無罪になったとして、彼は40代半ば。彼は、それでも自らの存在意義を自ら判断できる人間ですから、自らの仕事に対する誇りを失わないと思います。彼は粛々と産婦人科医の仕事を再開して下さるのではないでしょうか。彼は、マスコミ、警察、裁判官という自らの存在意義を自ら証明できない人々により「被害」を受けたと見做すことでしょうが、真犯人は厚生労働省の政策(医療費抑制、必要な程度までの医師の増員拒否)であり、厚労省のそのような政策を承認したのは国会議員であり、国会議員を当選されたのは一般市民なのであり、要するに日本の市民が「真犯人」。つまり、ある特定の個人や団体の罪ではないということを悟るのではないでしょうか。
自らの存在意義を自ら証明できる医師という職業に我々医師は誇りを持っております。「自らの存在意義を自ら証明できない」マスコミ人、警察、法律家の方々は構造的に我々医師よりも不幸なのではないでしょうか。マスコミ人、警察、法律家の方々を批判することは極めて容易ですが、実効性はなかなかありません。我々医師は、マスコミ人、警察、法律家の方々の構造的な不幸に同情する心情を有しているでしょうか。私はこの二ヶ月余りの考察を通して、マスコミ人、警察、法律家の方々が可哀想だとしみじみ思うようになりました。マスコミ人、警察、法律家の方々がもう少し「真実を追求する」姿勢を持っていれば、不幸な結末となった患者さんや患者さんの遺族はもっと救われたと思います。医師を有罪とすることは患者さんの救いにはならないと思います。民事で損害賠償が100億円と確定しようが、賠償額はたった10万円でも「やはり医師のミス」と「真実」が判明しようが、患者さんや遺族の「救済」になるはずがありません。(明々白々な医療ミスのことをではありません。)
★ 厚生労働省の官僚が医師を生身の人間とみなすようになること
このための方策は今のところ見当たりません
■■女性医師の活用について
本題はこれでした。
×-間違った政策
〇-有効と思える政策
△-効果が小さい政策、あるいは実現するにはコストがかかりすぎて実現性に
乏しい政策
×医学部に女性医師枠を作り、女性医師の比率が高くならないようにする
これは明白な憲法違反。論外。
△「女性医師を職場で活かすため」の子育て支援的政策
a)急性期病院に24時間体制の保育所を設置する
小さな子供を持つ女性医師が男性医師と同様に36時間連続勤務できるようにこのようなことをすることは、一部の病院には可能かもしれません。そのようなことができる一部の病院だけは「得」をするかも知れませんが、全国の大多数の病院で可能なことではありません。そもそも子供を36時間連続して預かることのできる保育所は世界中に存在しないし、そのような施設が子供にとって良いものとはとても思えません。36時間連続して子供をみてあげるにふさわしいのは、子供の祖父母などの肉親だと思います。
b)小さい子供を持つ女性医師に限っては、当直免除はもちろんオンコールなしとする
これは若い男性医師や指導的立場の中堅医師の負担を増大するだけなので、医療崩壊の問題には悪い作用しかおよぼしません。
考えに考えて悟ったことは、女性医師に絞った対策(院内保育園の整備等)だけを推進することが仮にどんどん実行されたとしても、多分その効果は微々たるものにとどまるということです。主治医制度の廃止など、女性医師に絞った政策ではなく、医師全体の問題を解決する方向が正しいのではないかと思います。