中央政府の政策を決めるのは原理的に中央政府ではない!

 本田 宏先生の『勤務医よ、闘え』というブログに投稿した文章を改変して掲載いたします。

「国」という言葉を使用しないこと、言葉の魔力に気をつけましょう

 医療政策というものは「国」が決めるものだと誤解している方があまりにも多いことよ。その根底にあるのは「国」ということについての無理解ないしは認識不足だと思います。国とは国家のこと。国家は領土、法体系、市民の総体についての呼称であり、先進国の場合は、三権分立の体制になっています。日本は先進国とは言えないかもしれませんが、それでも長らく三権分立体制にあります。
 医療崩壊は望ましくないが、医療政策の変更は不可能だと最初からあきらめている方々が「国」という言葉を使用する傾向にあることに最近気付きました。
 中央政府という意味で「国」という用語を用いているのかも知れませんがそうではないようです。「国はウンヌン」という擬人法はよくないと思います。「国」というものは人ではないので、ある決った意志を持っているわけではなく、惰性で動いてます。たとえて言えば、超巨大な船がある一定速度で動いていて、しかもその船には目も頭脳もなく、少しくらい押しても一度定まった方向からそれることはなかなかない。明治時代にできた時代錯誤の法律がずっと効力を持っていて、困っている人々が何十年も運動してかろうじて改正されたり、解釈変更でお茶をにごされるようなことを見ると、私の云う意味がわかるのではないかと思います。(例: 離婚後 300日以内に生まれた子供の問題)
 目と頭脳は官僚だと思えてしまうかも知れませんが、それこそ甚だしい誤解で、官僚は目であることはあるかも知れませんが、決して頭脳ではなく単なる計算機でして、惰性で定まっている方向に合わせて計算の辻褄を合わせるのが官僚であり、方向自体が正しいか否かを問う事は官僚の仕事ではなく、官僚にできることではありません。
 「国」には意志、思考、感情はありません。「国」には特定の政策が存在するように思えるのかも知れませんが、それは現象だけしか見てないからの誤解だと断言します。国という言葉ではなく、中央政府という用語を使用することで、「国の決めていることだから」と諦めている方々が思考を再開する契機になるのではないか。
 「国の政策はこうだから」という発言を聞くと、なんとなく納得してしまう人が少なくないと思いますが、「中央中央政府の政策はこうだから」という言い方ですと、ニュアンスが違ってきませんか。三権分立ということが、中央政府という言葉から直ちに連想されますから、「まてよ、よく考えると政府の政策を決めるのは政府ではなく国会議員を通じての市民なのだ」ということに気付きやすくなります。

中央政府の政策を動かすのは国会議員と市民である

 医療崩壊を憂える人々は中央政府の政策を批判しているのです。国というまとまりを批判してるのではありませんし、国というものを批判することはできません。他国の人なら日本という国家を批判することができますし、その資格があります。
 中央政府のいかなる政策であれ、国会で成立した法律ないし予算案により定義されており、基本的にその通りに実行されます。法律と予算案の作成には諸官庁の官僚がかかわりますが、官僚とは別に国会議員もそれに関与します。国会議員は有権者の票を買うために、有権者の要求を勘案します。有権者の票を買うことばかりしか考えない政治家が多いのは事実ですが、日本の医療をもっと良くしたいと本気で決意している国会議員も少しはおります。
 したがって、医療崩壊をこのまま放置してはならないと決意している人々がするべきことは、身の回りの人々(身近に接する医療人および非医療人)に対して、語りかけて共に考えて行くことだと思います。インターネットという半公共空間で言論活動をするだけでは不足だと思います。
 目標で共通する人々が方法論について議論して、有効そうなことを一人一人実行して行く、それで良しと思います。
 残念ながら、中央政府の政策は変わらないという前提の方々と、私などの中央政府の政策を変更することを目的としている人々では議論が成立しない場面が多いです。しかしながら、医者に押し付けられている雑用を非医療専門職に代行してもらうようなことについては、「あきらめ派」とで主張は一致してます。

政策の変更を行うために必要なこと

 医療崩壊の加速度を減じることを決意している人々こそが、中央政府の政策変更の提言をしていかねばなりません。そのためには次のようなことが必要。

  a) 過去の成功と失敗をしっかり把握
  b) 現在の現実をしっかりと把握
  c) 将来の目標を決定する
  d) a)〜c)を基礎として、仮説を立てて方法を提案する

 くり返しになりますが、官僚には a) 〜 d) のいずれも行う能力がありません。能力がないというより、そもそもそのような立場にありません。このことを誤解してはならないと思います。官僚の役割は統計解析のための集計データを用意すること、もう1つは限られた予算の中での数値の辻褄合わせです。現場を決して知ることのない官僚に対して、「現場の現実を無視して数値ばかり考えやがって、ケシカラン」と批判することは容易で精神衛生上のガス抜きにはなりますが、そんなことは無意味で時間の無駄という意味では有害ではないでしょうか。官僚が市民の意見を積極的に聞いたり、現場を本気で見に行くなどは、人類史上のいかなる国家においてもなかったし、今後もありえないと思います。犬が「コケコッコー」と鳴く事が永遠にないようなものです。
 だから、医療崩壊の加速度を食い止めようと決意する人々は、目標を設定し、そのための手段である政策を提言していく他ありません。
 「官僚の役割は統計解析のための集計データを用意すること」と言いましたが、問題は官僚がまともなデータを公開していないばかりか、不備なデータしかないこと。例えば、厚労省は現在生存している医師の数すら把握していません。ましてや、実際に保険医療にたずさわっている医師の数など全く不明のようです。女性医師が例えば平均25才で医師免許を取得するとして、65才までの間に何年間、保険医療に携わるか? こんなことは誰にもわかりません。男性のデータもありません。このように基礎的なデータの不備については、医師会などの団体が官僚に直接要求することが必要だと思います。国会議員の国会質問を通じての要求ももちろん有効です。
 既に医療崩壊の加速度を減じるための短期的な、および長期的な政策については、言い尽くされた感がありますので、ここには具体的な提案は記しません。

目標を共有する人々のつながりを強化していきましょう

 先日、医療制度研究会の講演があり、本田 宏先生らと語り合うことができました。実際に会って話しをするということは大変なことで、気合が何倍にもなりました。インターネットの前、パソコン通信という閉鎖的なネットワークの頃、思想フォーラムとか、山登りフォーラムなどいろいろな small interest group の人々の間で、オフ会(off line meeting)が盛んでした。パソ通ではハンドルネームで語り合ってますので、オフ会でもハンドルネームで呼び会うのが普通でなんとも言えないものでしたが、生身の人間同志での語り合いは格別なものがありました。
 インターネットが主流となってからは、パソ通自体がほとんど消滅し、パソ通のオフ会は当然なくなりましたが、それに代わってインターネットで知り合った人々のオフ会が増えたということはないようです。
 インターネットのブログなどでの議論だけでは不足だと思います。有志で時間と場所を決めて、会合を持ちませんか。私は横浜市東急田園都市線沿線に住んでおります。自分は土日は完全休日で、当直は毎週木曜日。東京近辺で6月中にでも呑みながらでもやりませんか。3人までの小人数なら、例えば、新宿西口の想い出横丁で。賛同する方は、jsawa@attglobal.net まで E-mail を。(私は愛煙家ですが、煙草の煙が嫌いな方の前では呑んでいても吸わないことができますのでご心配なく)
 
※※良書を紹介
 鈴木 厚医師の『崩壊する日本の医療』 2006/11/1 発行、秀和システム。これはポケット解説と銘打っており、244 pages にコンパクトにまとまってまして、医療崩壊関連図書では私の判定では最良の必読書。もちろん、小松 秀樹医師の『医療崩壊』(2006/5/30 発行、朝日新聞社)は今更紹介するまでもない必読書ですが、もしもどちらも読まれてないならば、鈴木先生のを購入されことを薦めたいと思います。