日本医療機能評価機構よりの返信

2007年4月24日に、日本医療機能評価機構にメールで公開質問状を送りました。
5月11日に回答が届きましたので転載いたします。
>Subject: 公開質問のメールについて

>Date: Fri, 11 May 2007 16:51:05 +0900
>澤田石 順 様
>日本医療機能評価機構です。
>いただいたメールの件ですが、提供すべき情報については
>全て当機構のホームページに掲載しております。
>ご覧いただいてはいるようですので、それらの情報でご理解
>いただきますようお願いいたします。

日本医療機能評価機構はホームページhttp://jcqhc.or.jp/html/index.htm
「提供すべき」情報は全て掲載していることならば、同機構の病院機能評価受審合格
による医療の質向上の証拠は存在しないと解釈せざるを得ません。
 私が提起した具体的な質問を、あらためてここに列挙いたします。

Q1. 貴機構の目的の1つ医療の安全を高めることですか?

Q2. 貴機構の目的の1つは厚労省天下り先確保ですか?

Q3. 貴機構の全職員(非常勤を含めて)は何人ですか?

Q4. 貴機構の全職員(非常勤を含めて)中、厚労省に勤務した経験が

 あるのは何人ですか?

Q5. 貴機構は医療の安全のためには、医師のマンパワー増大が必要とは考えない

 のですか?

Q6. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師が32時間連続勤務を

 しない」という当然のことが存在しない理由は?

Q7. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師が32時間連続勤務を

 する場合、患者・家族にそのことを公開する」という規定を追加べきとは

 考えませんか?

Q8. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師は24時間勤務をした翌朝に

 危険をともなう手術や検査をしない」という当然のことがない理由は?

Q9. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師が24時間勤務をした翌朝に

 危険をともなう手術や検査をする」場合は患者・家族の「同意書」を

 必要とするという規定を追加するべきとは考えませんか?

Q10. 病院機能評価の項目に「労働基準法の遵守」が欠如している理由は?

Q11. 病院機能評価において「女性医師の育児支援」に関連する項目がまったくない
 理由は? (単に失念?)

Q1についてはホームページの記載からすると yes ですが、他については言及がありません。
医師の勤務体制について審査項目に追加することについての質問に対する回答となり得る
記載ホームページにないこと、および同機構からのメールでそれらの質問についてなんら
回答がないことは、医師の勤務体制について同機構は関心がないことを認めていると解釈
できます。
 私はあらためて決意しました。同機構のあり方を現実世界の改善につながるように変革
するように求めることを。もちろん、自分が勤務する病院が version 5を受審すること
を撤回する運動を継続することも。

医療の限界と危険、安全な医療はないということを、しっかりと説明

医療崩壊が急速に進行している中、マクロ的な解決を求めての活動が必須な
ことは言うまでもありません。(マクロ的な解決: 先進国並に医師数を
増加すること、および医療費増大を国会議員、中央・地方政府に要求する
こと、市民におよび医療従事者に啓蒙していくこと)
 ミクロ的な方策も同時に実行する必要があると思います。病院長が勤務医を
守る姿勢を示すことについては別のところに書きました。それだけでなく、
医師個人が「医療の限界、危険を素直に患者・家族に語る」ことも重要だと
思います。入院時に、私はその内容を生の言葉で語って、その後で数部印刷して
手渡ししています。もちろん、入院したその日に来られた家族の分だけ
を印刷するのではなく、関係者全員に行き渡るように沢山印刷して渡して
ます。
 これはほんの一例で、他にもまだありますので、機会をあらためて
紹介します。

私が回復期リハビリテーション病棟の入院にあたり渡す文章

■■■一般的なことがら(総論)
■■安全なリハビリテーションということはあり得ない(医療は常に危険をともなう)ということ
 副作用の出現があり得ない薬はこの世に存在しないということは医療関係者でない方々でもよくご存じと思います。回復期リハビリテーション病棟の入院にあたり、次のようなことも強調いたします。
 ▽安全なリハビリテーションというものはあり得ない、常に危険を伴う

 ▽リハビリテーションの危険は主として転倒・転落による骨折を代表とする怪我

 ▽口から食べるためのリハビリテーションの危険は主として気管支炎、細気管支炎、肺炎などの気道感染症

 このようなことが意外と知られてないため、私はご家族には必ずリハビリの危険ということを説明するようにしております。
 リハビリテーションを行うことにより体力と筋力が増大し、立ち上がりや歩行の能力が改善していくと、見守りや軽い手伝いが必要なのに自分一人で歩けるように思ってしまうため(特に認知症があると)、身体機能の改善と同時に精神機能も十分に改善していかないと、転倒・転落の確率が増大します。転倒と転落の予防のためいろいろと対策を実行することにより、大けがをおこす確率を減らすことはできます、しかし大けがをする可能性をなくすることは決してできません。
 
■入院中の患者の転倒・転落による怪我をなくすことは不可能ということ
 脳卒中や骨折の手術後のリハビリテーションを積極的に行っている回復期リハビリテーション病棟は、いろいろな種類の病棟の中で一人の患者さんが転倒や転落を起こす確率がもっとも高いと考えられます。脳卒中や骨折の患者さんの圧倒的多数は認知症を有し、しかもリハビリを行うことにより身体状況が変化していくからです。
 認知症のためベッドから転落する患者さんは、回復期リハビリテーション病棟には常に数人はおります。柵をはずして落ちる可能性と、柵を乗り越えて転落する可能性のどちらが大きいかにより、柵を3本にするか4本(乗り越えて転落すると骨折の危険が大)にするか決めるのですが、いつも迷うところで、どちらがいいかの判断には自信を持てることは例外的です。柵をはずしたら警報が鳴る装置はありますし、しばしば使用しますが、器械の故障等で鳴らないこともあります。病院ではいろいろと工夫はしてますが、それでも回復期リハビリテーション病棟で骨折がない年はこれまでなかったし、今後もあり得ないと思います。危ない患者さんにはリハビリはしないという方法のみが、回復期リハビリ病棟の転倒と転落の件数を減らすことができるでしょうが、そんなことが良いことであるはずありません。

■歩行が不安定な患者さんが骨折する危険は、病院の方が自宅より大きいこと
 自宅は慣れた環境ですし、人通りが多いわけではありません。自宅と比較すると、病院では認知症の患者さんが多く、廊下でも病室でも人が多いため、ふらふらと歩いて患者さんに他の患者さんが接触するようなことがよくあります。その他にもいろいろな要因があり、病院の方が転倒の危険が自宅よりはるかに高いのです。
 ご家族の圧倒的多数は「病院には専門職がたくさんおり、人の目がいきとどいているから転倒して骨折する危険は自宅より低い」とみなしていると思います。そのようにみなしているご家族は「病院で骨折がおきたら、責任は病院にある」と誤解しがちです。

■病院の中で転倒して大怪我をしたとしても病院には過失がないこと
 ある人が自宅で転んで骨折した場合には、家族の誰かが別の家族の「注意義務違反」を理由に裁判に訴えようなどと検討すらしないと思います。ところが、病院で骨折がおきた時に、患者さんの家族が裁判に訴えるということがとても多くなっています。提訴して民事裁判になり、病院が敗訴して多額の賠償が命じられた判例はいくらでもあります。
 いつもお見舞いに来られて担当の看護師、医師らと意思疎通ができているご家族は、骨折などの事故がおきても、不可抗力と納得してくれる傾向にあるようにみえます。ところが、めったにお見舞いにこないため、担当の看護師や医師とまったく疎遠なご家族は、明白に不可抗力の骨折であっても、病院を非難することが少なくありません。
 
△以上、『安全なリハビリテーションということはあり得ない』ということに関連して、長い説明となりましたが、どうか真意をご理解下さいますように希望します。

日本医療機能評価機構への公開メール(To info@jcqhc.or.jp)

(日本医療機能評価機構の web page = http://jcqhc.or.jp/html/index.htm)

澤田石 順と申します(平成元年に医学部卒業、医師免許取得)。
私は病院の勤務医(ただし、回復期リハビリテーション病棟専従医)です。
自分の勤務する病院には2002年2月から在職しております。貴機構の
病院機能評価 VERSION 4 の受審にかかわりました。その頃は感染対策
委員長でした。こと感染対策に関しては受審することがきっかけとなり
「人手がない、金がない、当院ではそこまでは必要ない」との理由で
やりたくてもできなかった諸感染対策が実行できるようになりました。
受審のために書類を整えたり、組織のあり方を改革したり、イントラネット
のホームページを立ちあげたり、感染対策委員会は努力しました。一定の
成果は得られたと私は判定します。(私が勤務する病院は認定されました。)

 本題に入ります。

Version 4 受審の全体的な評価

 受審することによる実質的な改善は例外的でした。基本的には書類と委員会が
増大しただけでした。私の勤務する病院では、他の病院の多くと同様に、
昨今の医療費抑制政策のために、医療専門職のマンパワーの増大はなされず、
非医療専門的な仕事を実行してくれる非医療専門職の首切りがなされ、
医療専門職の業務の絶対量が増大しました。病院機能評価 version 4 を受審し
たために間接業務が増大しました。幸いというか当然のことながら、病院機能評価
受審を契機に「実行」する「ことになっていた」諸規定の多くは、単なる空文で
して、現場の職員は読んだ事もなく、病院は新たに決ったルールを徹底する努力
を「実際にはしない」ので、間接業務増大による「被害」は減殺されてはおります。
それでも病院という組織の特性として、一度できてしまった委員会はたとえ
単なる時間の浪費であっても存続してしまい、一度通常業務として運用が
始まった書類はなかなか消滅しないため、間接業務の増加は深刻な問題に
なってます。

▼病院機能評価 Version 4 の受審がもたらしたものとは何か?
 〇患者はもちろん誰の利益にもならない書類の増加
 〇患者はもちろん誰の利益にもならない委員会の増加
 〇職員のサービス残業の増加
 〇一般職員の大多数の病院機能評価への軽蔑(やっぱり形だけとの思い)

▼病院機能評価 Version 4 の認定がもたらさなかったものとは何か?
 〇医療の質向上
 〇職員の士気向上
 〇職員の退職率低下
 〇病院の収益改善
 〇紹介患者の増加
 

Version 4 受審に関する結論

 害が利益より圧倒的に大きかった

Version 5 について

 500以上にわたる審査項目を全て読み、考えました。一言で言えば、問題外です。
カタチだけの書類を整えて、カタチだけの「やっている証拠書類」を整えて、
必要もない委員会等を新たに作ることなくして、version 5 の受審などとても
できません。1200床もあるような急性期の大病院なら規模の経済が働きますから
受審はさほど負担ではないと思います。私が勤務する病院のような非急性期の
600床程度の病院はもちろん、急性期の200床未満の病院が「合格」するとした
ら間違いなく「カタチ」だけのこととなり、有害無益だと思われます。
 従いまして、私は現在勤務している病院が version 5受審をするという
既になされている「決定」に反対する運動を4月2日から開始しました。
 一般職員の何十人にインタビューしたところ、全員が「あんなものいらない」
「やめてほしい」でした。病院のトップレベルの方々は「もう受審は決って
いるからする」または「機能評価をとることで病院のステータスが上がる」
というあまりにも情けない理由で、受審を規定路線として、一般職員に
書類等の作成を強いております。

 以上は前置。

 貴機構に公開で質問いたします。
 貴機構は社会的公共財だと私は信じますので、明白な回答を要求します。
 私は、貴機構が利益追求のみを目的とする単なる天下り団体でないと信じるため、
回答が得られるものと信じます。

日本医療機能評価機構への公開質問

Q1. 貴機構の目的の1つ医療の安全を高めることですか?

Q2. 貴機構の目的の1つは厚労省天下り先確保ですか?

Q3. 貴機構の全職員(非常勤を含めて)は何人ですか?

Q4. 貴機構の全職員(非常勤を含めて)中、厚労省に勤務した経験が
 あるのは何人ですか?

Q5. 貴機構は医療の安全のためには、医師のマンパワー増大が必要とは考えない
 のですか?

Q6. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師が32時間連続勤務を
 しない」という当然のことが存在しない理由は?

Q7. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師が32時間連続勤務を
 する場合、患者・家族にそのことを公開する」という規定を追加べきとは
 考えませんか?

Q8. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師は24時間勤務をした翌朝に
 危険をともなう手術や検査をしない」という当然のことがない理由は?

Q9. 急性期病院に関する病院機能評価の審査項目に、「医師が24時間勤務をした翌朝に
 危険をともなう手術や検査をする」場合は患者・家族の「同意書」を
 必要とするという規定を追加するべきとは考えませんか?

Q10. 病院機能評価の項目に「労働基準法の遵守」が欠如している理由は?

Q11. 病院機能評価において「女性医師の育児支援」に関連する項目がまったくない
 理由は? (単に失念?)

貴機構のホームページにはこのようにあります。

/** 引用開始 **/
1. 医療機関が自らの位置づけを客観的に把握でき、改善すべき目標もより具体的・現実的なものとなります。
2. 医療機能について、幅広い視点から、また蓄積された情報を踏まえて、具体的な改善方策の相談・助言を受けることができます。
3. 地域住民、患者、就職を希望する人材、連携しようとする他の医療機関への提供情報の内容が保証されます。
4. 職員の自覚と意欲の一層の向上が図られるとともに、経営の効率化が推進されます。
5. 患者が安心して受診できる医療機関を増やすことになり、地域における医療の信頼性を高めることができます。
/** 引用終了 **/

Q12. 『医療機関が自らの位置づけを客観的に把握できる』と表明する根拠は何
  ですか?

Q13. 病院機能評価に「合格」することにより、当該病院の『職員の自覚と意欲の
  一層の向上が図られる』という根拠を示す事ができますか?

Q14. 病院機能評価に「合格」することにより、当該病院が『患者が安心して受診
 できる医療機関』になるという根拠を示す事ができますか?

Q15. 病院機能評価の受審がカタチだけに終わっているか否かの評価をしないのは
  何故ですか?

Q16. 病院機能評価の version 4 に認定された病院の大多数が、カタチだけに
 終わって「いない」根拠が皆無なのに、version 4 の「更新」つまり version
 4 が「実際に守られている」ことの確認という形での更新を排除するのは
 何故ですか?

Q17. 病院機能評価の version 4 に認定された病院の大多数が、カタチだけに
 終わって「いない」根拠が皆無なのに、更に複雑化・非現実化した version 5
 でしか「更新」を認めないのは何故ですか?

Q18. 病院機能評価の受審と認定に伴い、病院における医療専門職の間接業務が
  増大し、結果として医療の質・安全が低下している可能性を否定しますか?

おわりに

 私は日本医療機能評価機構を全否定するには到っておりません。貴機構が
生まれた契機は厚労省と医師会等の単なるアリバイ作りだと思います。日本の
医療政策の問題点を全く考慮することなく、すなわち、現実の病院における
人手の不足と収入の不足を無視して、貴機構は実現ができるはずないとわかっ
ていながら、審査項目をどんどん複雑化・非現実化してきました。心情は
理解できなくはありませんが、そろそろ現実を直視していい時期だと思います。
既に受審する病院数は減少傾向になっています。貴機構は受審の減少に
対応して審査期間の短縮化やらで対応しようとしてますが、そのような
ことはますます審査が「カタチだけ」ということを露呈する行為です。
 貴機構の名前と「天下り」の2語をキーワードとして google あたりで
検索してみて下さい。10万件以上がヒットします。医師のブログを貴
機構名で検索してみると、良い評判など1つもみつかりませんでした。
悪評だらけであります。
 医師の絶対的不足、看護師の絶対的不足、介護職の絶対的不足、ヘルパーさん
らの絶対的不足という純然たる現実、および診療報酬の抑制という中央政府
政策がある中で、カタチだけの書類と委員会を増やす病院機能評価の受審は
(例外はあるでしょうが)医療の質を低下する作用こそあれ、質の向上には
結び付かないと私は結論しました。

 反証できますか?

 日本医療機能評価機構は公的な使命を有する組織だと私は信じます。
私は実名で語っております。真摯な回答を求めるものです。

以上、日本医療機能評価機構(mail: info@jcqhc.or.jp) に 2007年4月25日に
メールを送りました。このメールの全文は、http://d.hatena.ne.jp/sawataishi/
に公開しました。回答はもちろん私ができる限りの手段で公開いたします。

週間『東洋経済』で医療崩壊の大特集 / 時勢の大きなうねり

本日(2007/4/23)の朝日新聞の広告をみておっと思いました。
ニッポンの
医者、病院、診療所
外科も産科も小児科も消滅の危機、町に人が住めなくなる… 医療費抑制と医療崩壊の関係図
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2007/0428/index.html
 この半年の間に医療崩壊についての報道が飛躍的に増えてきているのではないのでしょうか。
小児科の故中原先生の労災認定という朗報など、明らかに時勢が変ってきていると思います。
厚労省の姿勢は何等変わってませんが、急激に医療崩壊という現在進行している全国的な
現象が一般市民にだんだんと認知されるようになってきていると思われます。
東洋経済の大特集は実にタイムリーで、この特集自体が時勢の変転の一つの証拠では
ないでしょうか。
 私はまだ購入してませんが、読むのが楽しみです。

医師不足問題

 保険医療が崩壊しつつあることを、少なくとも全国の医師の大多数が自明の事実として認識していると思われます。一般市民の安全に対する過度の要求がますます強まり、結果が悪いと医師個人の罪をなすりつける傾向はとどまるところを知りません。急性期病院の医師の大多数が、当直の時に32時間以上の連続勤務をしているというただ一つの証拠で、医師が不足していることを証明できると思います。

保険医療の運営責任は厚労省にだけあるのでしょうか。
医師数の決定は実定法の制定でなされるのではなく、行政の政策として実行されるので、厚労省にのみ責任があるように見えなくはないのですが、厚労省の予算案は大蔵省により調整され、最終的には国会で承認されて効力を持ちます。つまり、厚労省の政策の承認は議会が行っています。責任は立法府にもあるのです。
 残念ながら国会議員(ないし政党)が医師数の絶対的な不足を訴えて、予算案の修正を求めたことはないようです。国会議員は市民の要求を代弁する立場に有ります。ところが国会議員に対して医師の増員を求める強力な運動はこれまでなされて来なかったと思います。つまり、市民の側にも責任があるのです。市民にこそ責任があると言う事もできます。一般市民は医師のマンパワー不足のことをほとんど知りません。市民の大多数は医者が忙しいことは知ってますが、高給取りだから、医者だから当然とみなしています。

司法による解決

 憲法を基準として、ある法律や政策自体の不法(違法)性を問う事はできません。しかし、ある法律や政策により被害を受けた市民は法律や政策の不法性を訴えることができます。このことを、私は医療制度研究会(2007/4/21)に参加している時に突然思い付きました。
 a) から e) の仮定は真ではないでしょうか。

 a)労働基準法に違反した医師の勤務体制を厚労省は事実上放置してきた
 b)労働基準法に違反した医師の勤務体制について厚労省は通達という行政指導で
  病院に是正を求めたのは事実であるか改善は認められない
 c)厚労省労働基準法に違反した医師の勤務実態が医師の絶対数不足にあるという
  明白な事実を黙殺してきた
 d)厚労省には労働基準法違反が常態でなくなるためには、医師を何人にしたら
  いいかを算出し、医学部の定員を増やす義務を怠った
 e)a〜dに関しては、厚労省のみか立法府にも怠慢の罪がある

 以上の仮定を真とみなし、医師不足により被害を受けた一人か二人以上の市民が提訴することは可能だと思います。次のような方々に提訴することを提案いたします。

▽医師の過労死が公式に認定された遺族
 どの病院も医師の不足に直面した時に、大学に派遣を要請したり、医師の雑誌で募集したりしますが、そもそも医師の絶対数が不足しているためになかなか医師は来てくれません。特に産科、小児科、麻酔科などはそうです。過労による死亡が労災と公的に認定された医師の遺族の圧倒的多数は、病院が過酷な勤務を放置したとみなしていると思います。遺族の中には、病院に対して損害賠償を請求する民事訴訟をおこしている方もおります。民事訴訟に訴えることはまったく当然のことで、もっともっと増加するべきだと思います。しかしながら、医師の過労死に関して、病院の責任はごく小さく、真実は中央政府の怠慢が過労死の主たる原因だと思います。
 すなわち、過労死と認定された医師の遺族は中央政府に対しても損害賠償を請求するべきだと考えるものです。ハンセン病訴訟で、熊本地裁が国と行政の不作為責任を認める判決を出したのは記憶に新しいことです。
 櫻井 よし子さんのブログ(http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2001/07/post_69.html)
より.
/** 引用開始 **/
中坊: 1987年に水俣病患者がチッソと国を相手に起こした訴訟の判決で、熊本地裁は行政の責任を認めましたが、判決理由の中で、行政の不作為を認めるための物差しを示した。それが非常に厳しいのです。1つには、生命や身体に重大な被害が発生していること。2つ目には行政がやれば容易にできることであり、逆に行政がやらない限り救えないこと。さらに、行政に対して被害者がそれを求めていたこと。今度のハンセン病訴訟でもそうですが、被害者がその以前に行動を起こしていなければいけないというんです。

行政の不作為を違法だと断定するには、かように厳しい条件を課す。なぜそこまで行政を守ってやらなければいけないのかと思うくらい、日本の裁判所は行政判断を覆すことに対して消極的なんです。そういう雰囲気の中で行政が野放しになっていた。

行政訴訟の多くはいまだに門前払い

/** 引用終了 **/

▽過労によるうつ病と診断された医師
 死亡しないと労災とは認定されないのかも知れません。うつ病自体をを労災として認定せよと労働基準監督署に求めることと同時に、過労の原因が厚労省および立法府の怠慢(医師数の確保を怠った)にあるとして、提訴することはできないものでしょうか。

国会議員への要求

 上記の a) 〜 e) の仮定を真とみなして、地元選出の衆議院議員の全員に手紙やメールを送る事を提唱します。あるいはそれらの仮定がの真偽を研究することを要求する手紙やメールを送る事。署名という形でもいいでしょう。
 あなたが病院勤務の医師だとしたら要求の内容を記した文章に、同僚の医師の署名を求めるのも良い方法だと思います。日本医師会とか産婦人科学会など全国規模の組織はそれなりにやっていますが、全国規模の団体は直接厚労省に要望したり、政党自体に要求するためにあまり効果が得られないと思われます。地元選出の衆議院議員であれば、得票ということに敏感なので、要求書の数(署名の総数)がある程度以上になれば、それなりに対応する確率が高まると思います。

医師は生身の人間だということ(草稿段階)

澤田石です。(jsawa@attglobal.net)
【女性医師を職場で活かすために】「その1」について発言しようと、文章を準備してましたが、どうも違和感があり投稿することができませんでした。よくよく考えると、ありきたりの意見で何の解決にもならない精神論だと結論し、文章をすべて破棄しました。
 「その2」での本田先生のコメント(以下に〇で示す)を見てはたと膝を打ち考察しました。
 〇特に私が印象に残ったのは、「主治医」としてのプレッシャーから
  一般病院での勤務をあきらめたというお話でした
 〇主治医制、実はこれが現在の勤務医の長時間労働だけでなく、一時も
  病院から開放されない、という心理状態に大きな影響を与えているのです

さらに、「その1」にある
 1、女性医師は年々増加している。2004年では医師全体の16.5%が女性医師。
 2、2006年度医師国家試験合格の女性の割合32.7%。今度、さらに女性が増加
  する可能性が高い。

【1】ナースについての子育て支援の現状と限界
 私の見ている限りのことだけ述べます。自分の勤務する病院の25%ほどは回復期リハビリテーション病棟で他のベッドは医療保険またか介護保険療養病棟。ナースやCW(介護福祉士)の方々[以下、"ナースら"」の子供達のための保育所は同一法人が運営しています。
 保育所はもちろん24時間体制ではないので、子持を持つナースらは日勤は支障無くできますが、夜勤はナースらの親の支援がないとできません。それでも小さい子供がいないナースらの数がどうにか足りてはいるので夜勤が回ってはいます。しかし、だんだんと子持ちのナースらの比率が増加してきており、ちいさい子供をもたないナースらの夜勤回数が増加してきているように思います。残念ながら数値では示す事はできませんが。
 急性期病院の場合は、おそらく私が勤務する療養型病院とは異なり、小さい子供がいるナースらの比率ははるかに低いので、保育所を併設しているところは少ないのではないかと思います。
 (主として急性期)病院における医師の年齢構成とナースらのそれ、非病院の一般的な職場とで比較するとこんなところになるのではないでしょうか。

病院の医師: 20〜30代が多いが、40代もそこそこ、50代以降はごく少ない
病院のナースら: 20〜30代が中心、40代以降はごく少ない
一般の職場: 20代から50代まで、だんだんと年代毎の割合が減少はするが
 病院のように40代半ば以降の層が極端に少ないということはない

 なぜ、一般の職場と比較して病院の年齢高齢がこのように偏るかは簡単な理由だと思われます。
病院の医師の場合: 医師はある程度の経験を積むと開業するからであり、この数年は不当なクレームと訴訟が増加したために開業に以前よりも開業に向かう医師の年齢がより若くなり、昔なら病院で体が動くまで頑張ったはずの実力ある医師も開業に流れているわけです。
病院のナースらの場合: ナースらの大多数は女性なので、たとえ子供が大きくなって、保育所にあずける必要がなくなっても、40代にもなると夜勤は体力的にきついため、ほとんどが病院から退職するしているのだと思います。40代以降のナースらの大多数は管理職の道を選択した方々で、ナース全体の中での比率はごくわずかで、管理職のナースらは病棟での夜勤はしません(例外はあるでしょうが)。

 このように(医師もナースらもということ)、一般の職場と比較して、病院というところは、元々若い戦力中心で動いてきております。当然、若い(20代〜30代)人々は睡眠不足への耐久性が優れているから、病院における若い人々の絶対数が不足しない限り、少なくとも夜勤や当直の体制はなんとかなるわけです。若い医師の中には365日オンコール、毎週一度は40時間連続睡眠なしでも平気な人が多い。

▼医師が一人あたりの患者に費やす間接業務量の増大
 1)診療についての説明、説明の証拠となる書類作成、カルテ記載などに要する
  時間が増大するばかり
 2)「必要な検査をしなかった」と後から追求されて訴訟になるリスクが無視できない
  ほど大きくなったため諸検査の実施量が増加し、検査の待ち時間と結果の説明
  に要する時間が増大
 3)以前よりはるかに数が増加したクレーマーに対処するための時間の増大

▼医師における年齢構成・男女構成の問題
 1)若い医師を指導する立場の30代後半以降の中堅どころが減少傾向
 2)若い医師の中で女性の比率が年々増加している
 3) 2) のため若い男性医師および中堅どころへの負担が増加
 4) 3)が更に、1) の傾向を加速???

 4)については確かな証拠がないので ??? としましたが、女性医師の増加傾向はこのような問題をかかえていることは確かなのでないでしょうか。もちろん、女性医師個人の医師としての資質の問題では全くなくて、妊娠・出産をするという女性の本質からくることであり、避けられることではありません。
 医師の年齢・男女構成においてはこのような構造的な問題があるように見えますが、次に病院勤務のナースの年齢構成では同じような構造問題はないので考えてみます。

▼ナースらの年齢構成・男女構成の変化傾向
 1)男性ナースらの比率が増加傾向
  例えば--- http://library.pref.oita.jp/docs/reference/r41.html
    平成4年から16年への男性看護師の就業比率は2.4%が4.2%に、
    男性准看護師は4.4%が5.9%にそれぞれ増加しています。
    この表では、男性看護師数は平成14年から16年にかけて約21%の
    大幅な伸びをしていることなどもわかります。
 たった一つの証拠ですが、病院に勤務している人々であれば、男性ナースらの比率が増大していることは明白な事実とみなしていると思います。ナースらにおける男性比率の増加は、子育てのために夜勤ができにくくなるナースらの減少をもたらすという明白な効果が第一にあります。私が勤務する病院においては、ナースら全体の年齢の平均値も中央値も上昇傾向にあると実感していますが、男性ナースらの比率増大が夜勤をできる女性若手ナースの減少を多少なりともおぎなっているように見て取れます。急性期病院でも男性ナースの比率増加は同様の効果があるのではないでしょうか。
 結論として、ナースらの年齢構成・男女構成の変化傾向は、医療崩壊の問題とは関係なく、「女性医師を職場で活かすために」という課題ともあまり関連はないということになります。ただし、大いに参考にはなると思います。

■「医師における年齢構成・男女構成の変化による問題」"および"
 「絶対的医師不足問題」(医療崩壊)を解決する方法は?

 当ブログの文脈といいますか、本旨からすると「女性医師を職場で活かすため」だけに焦点を絞るわけにはいきません。「女性医師を職場で"もっと"活かす」だけでは、焼石に水で医療崩壊の加速度減少には結び付かないと思われます。本質的な解決の方向は、次のようなことではないでしょうか。
 "★"印の数は私の考える優先度を表わします。

★★★★ 病院という組織が医師を生身の人間とみなして扱うこと
 一般市民は医師を生身の人間とみなして扱っておりません。一般市民は機能を果たす道具として医師を見ております。これはそう簡単には変わりません。一般市民がそうだけならまだしもです。マスコミ、警察、検察、裁判官らは一般市民の医師や医療に対する偏見をあおりたて、攻撃するばかりで、一般市民はさらに偏見と攻撃を強化しております。では、医師が勤務する病院という組織はどうでしょう。組織としての病院くらいは、医師を生身の人間として扱ってほしいと思う医師が大多数ではないでしょうか。

 ・医師でなくてもできる非専門的な雑務を非医師が代行するような努力を
  している病院は極めて希 (近森先生のところなどは例外。例えば、私が勤務
  する病院で五年前から頼んでいるのは、「保険会社の診断書等にはせめて事務
  員が、住所、氏名、年齢などは書いてくれ」。いまだに「忙しいからだめ、
  筆跡が異なるから駄目」です)
 ・不当なクレームがあったり、不当な訴訟があっても組織の問題としてとらえる
  のではなく医師個人の資質の問題として、病院としての責任を回避する病院長が
  大多数
 ・大多数の病院における看護部長は看護部として医師の仕事を助ける意思をまったく
  持たず、可能な限り責任を医師に押し付けたがる
 ・その他(あまりにも多いのでもう言いません。)

 こんなところが現実。
 「病院という組織」は人間ではありません。つまるところ、病院の院長、看護部長、事務長らの運営にかかわる人々がすべての医師を体力と認知能力(注意力、判断力等)に限界を有する人間として扱うことが、時間的にも本質的にも最優先なのではないでしょうか。私がこれまで提唱してきたミクロ的な解決方向として次のような方策を実現する努力を各病院が開始するべきだと提唱いたします。一言で言えば《主治医制度》の廃止。

 □院内の話し言葉でも文書でも主治医という呼称を禁止し、主担当医ないしは第一
  担当医または担当医とする

 □ある医師が「365日24時間オンコールを希望」しても主治医という呼称は認めない

 □「担当医」が病院内におり、なおかつ勤務時間内の時のみに「担当」すると
  患者・家族に話し言葉と文書で「担当医」が説明する。その文書においては
  病院の規定と明記。

 □「担当医」の休日や勤務時間外においては、日当直医ないし同一診療科の
  オンコール医師が担当することを患者・家族に話し言葉と文書で「担当医」が
  説明する。その文書においては病院の規定と明記されている。

 □「担当医」が365日24時間オンコール体制であると、担当医が肉体的および
  精神的に疲弊してしまい、医療ミスが増加することに関して、
  病院としての文書を用意し、担当医が入院時に説明する

 □急変などの場合、日当直医師ないし同一診療科の医師が最期までみる場合が
  少なくないことを入院時に担当医が説明し病院としての文書を手渡し

 □各科において夜間・休日の入院患者に関する第一オンコールを順番に回す

 □緊急手術が有り得る外科等においては、第二オンコールも順番に

 □医師3名を必要とする緊急手術が有り得る科においては、第3オンコールも

 □病棟患者に関しては、当該診療科のオンコールの医師ではなく当直医師を
  最初にコールすることを原則とする。例外はできるだけ明文化。

 □当直医師は必要ならば速やかにオンコールの医師に連絡。当直医師がオンコールの
  医師に連絡は不要と判断した場合でも、看護師が必要と判断したらためらうこと
  なくオンコール医師に連絡

▼このようなことを実施するため必須なこと
a) 各診療科内でのチーム医療の推進
 単に読める字を書くだけでなく、特定の診療科内での標準化、パスの作成・活用etc

b)各診療科の垣根を超えてのチーム医療の推進
 他科の医師を指導し、他科の医師による指導を受け入れて、互いに勉強すること

c)日勤に続いての当直明け勤務の原則禁止
 上述の政策は当直医の仕事量を飛躍的に増大させるので、文字通りに一睡もできない
 ことが多くなるであろうからです。

c)ナースに対する各診療科医師による教育の強化
 各診療科の医師がナースに対して、どんな条件では例外的に当直医師とオンコール
 医師を同時にコールすべきか、オンコール医師のみを最初にコールすべきかなどに
 ついて

★★★ 患者・家族が医師を生身の人間とみなすようになること
 このための方策は別のところで述べましたが、改めて述べてみます。「明示する」というところは、目につくところに掲示し、同時に、文書で"事務員による"説明ありで手渡しするという意味です。事務員の説明は機械的ではだめで、生身の人間の言葉で説明する必要があります。そのためには、当然教育が必要で、説明することは資格なしでできないようにしなければなりません。資格を認定された事務職が説明して手渡ししたら、一回千円くらいは支払うべきでしょう。
 以下に示す方策は熟慮に熟慮を重ねたものではありません。自分で見返してもこれは行き過ぎかも知れないと思うものもあります。しかし、基本的な方向性は妥当ではないかと思います。これらについては厚労省のマクロ政策の変更も「通達」ないし「通知」も必要ありません。

 □病院長の名で、安全な医療ということは未来永劫有り得ないことを明示する

 □病院長の名で、日本には先進国と比較して医師がこれだけ足りなく、
  医療費はこれだけ安いことを明示する

 □病院長の名で、医師不足、医療費不足のため、安全のための望ましい諸方策
  のうち具体的にこれやあれはできていないと明示する

 □病院長の名で、医師の過酷な勤務状況の概況を赤裸々に明示する

 □病院長の名で、医師が睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される
  条件を明示する

 □病院長の名で、睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される医師が
  診療(特に危険を伴う検査、および手術をすることによる危険を明示する。
  その文書においては、必ずバス、電車、飛行機などの公共輸送手段の運転手が
  連続32時間勤務をするようなことは危険が高いため禁じられていることを明記。

 □病院の玄関、外来、病棟に医師名を年齢と出身地付きで表示して、
  何曜日(何月何日)は「日勤、当直、そして日勤」の体制が明記する

 □病院長の名で、睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される医師が
  注意不足によるミスを犯す危険をかかえたまま、手術ないし危険を伴う検査
  をすることに関して、患者・家族に対して「同意する」、「しない」、
  「わからない」のどれかを書面で選択するように求める

 □病院長の名で、医師が睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される
  条件で検査ないし手術をした場合に、実際に事故がおきた場合、責任は
  医師個人ではなく医師の数を確保できない病院にあることを明示する

 □病院長の名で、病院が十分な医師数を確保できない主要な原因は日本国に
  おける医師自体の絶対的な不足にあることを明示する

 □病院長の名で、日本国における急性期病院における医師不足の原因は、
  第一に厚労省の政策であり「マスコミ、警察、および司法」が医師個人に
  過度の結果責任を負わせる傾向にあることが第二、
  「マスコミ、警察、および司法」の姿勢に影響された一般市民による提訴
  の増加が第三であることを明示する

 □病院長の名で、「日勤につづく当直」を終えて、手術をする医師が執刀医となる
  ことに同意するか否かを術前に確認する。「日勤につづく当直」後の医師が
  執刀することを患者・家族が容認しない場合は、そのように調整する

 □病院長の名で、事前に予定された手術ないし危険を伴う検査を医師が
  万全の体調でおこなうはずだったのに、前夜のオンコール出勤や緊急手術
  のために、結果として極度の疲労をかかえた状態になった場合は、
  手術ないし危険を伴う検査を実施する当日の朝に文書での同意をとること
  なくして、実施しないと明示

 □病院長の名で、睡眠不足等のために極度の疲労をしていると推定される医師が
  術後管理を担当することに同意するか否かを術前に確認する。

 □病院長の名で、安全な医療行為というものは決して有り得ないことは昔も
  今も、未来永劫変わらないが、医師不足が年々深刻化しているために
  医療行為の危険が今後は増大しかねないことを赤裸々に述べて、
  市民(患者・家族)の立場で、市民の生の言葉で、政治家、行政、
  報道機関などに、先進国並みに医師を増員し、医療費を増やすように
  要求することを御願いしますを明示

 □第一線の医師は、日勤に続く当直明け勤務の際に、病棟、外来において
  患者・家族に対して、必要と思われる時はためらわずに「昨日は朝六時に起床し
  て、病院に八時過ぎに来ました。昼間の仕事を終えて当直があり、救急外来の
  ため眠っておりません。こんな状態ですが、頑張りますので宜しく御願い
  します」というような挨拶をする。(私はけっこうこんなことを話してます)

 □第一線の医師は、外来での初診患者、新規入院患者ら初対面の方にできるだけ
  人間対人間の言葉をかける: 例えば、「もしかしてご出身は〇〇地方ではあ
  りませんか」とか「これまでの病気のことなどよくわかりました。ご参考までに
  趣味とか余暇の過し方についても差し支えなければお話し下さい。場合に
  よっては病気を適切に管理するために、趣味活動を少し制限した方が
  望ましい場合もありますので」 こんな糸口から、医師対患者という
  「機能提供者」対「機能利用者」という契約関係とは異なる、人と人との
  会話が始まることはよく経験されること。意識してこのような言葉かけを
  することにより、人と人としての結び付きが強まります。医師が患者を
  生身の人間としてみなければないないのは言葉としてはそうですが、
  あまりにも患者が多いと、なかなかそうもいきません。だからこそ、
  純粋に診療を目的とする会話以外の人と人との会話はとても重要だと
  思います。

★★ マスコミ、警察、法律家が医師を生身の人間とみなすようになること
 マスコミ、警察、法律家は、《構造的に》とても不幸な人々だということを我々医療人は以外と意識していないのではないでしょうか。このことを少し詳しく解説してみます。
▼医療人は、自らの存在意義を自らの行為だけで他の誰によることなく自ら証明できる
 医療専門職は患者に対する最善の医療を提供すること自体で自らの存在証明を日々得る事ができます。言うまでもなく、患者や家族が「ありがとう」の一言を言ってくれたら大変な励みになり、激務にも耐える気力がわいてきます。患者や家族が「治って当然、正常に生まれて当然」とみなし、何もいわなくても、最善の医療を提供し治療に成功した場合は医師らは自ら満足で、やる気がわいてきます。最善の努力をしたにもかかわらず、残念な結果であった場合、「もっと技量を高めよう、もっと勉強しよう」とかえってやる気がわいてくることが少なくありません。良い結果が得られた時より、むしろ望ましくない結果になった時に、特に医師の場合は気合が高まることが多いと思います。一時的に落ち込むことはあるでしょうが。
 ・人間というものは自分の成功から学ぶことは原則としてできません
 ・人間というものは他人の成功から学ぶことができなくはありませんが困難
 ・人間というものは自分の行為の「失敗や望ましくない結果」から、最も多く
  学ぶことができるもの
 ・人間というものは他人の行為の「失敗や望ましくない結果」からも、学ぶこと
  はできますが、そのためには意識的な努力が必要

 「医師は自らの存在意義を自ら判定することができる自律的な存在」であるともう一度強調いたします。

 ところが、報道人、警察、および法律家はどうでしょう。

▼報道人、警察、および法律家は、自らの存在意義を自ら判定したり
 証明することが基本的にできない!!
▽新聞記者などの報道人
 新聞記者の少なからずは理想に燃えて入社すると推察されますが、新聞社の記者に対する教育方針は「他の新聞で取り上げたことはウチも報道するべし。他の新聞がある人物を攻撃するならウチはもっと攻撃すべし。他の新聞ではまだ発見していないある人物を攻撃するネタをさがすべし。記者独自の視点は排除すべし。バスに乗り遅れてはいけないが大原則!」ですね。
 新聞記者は"一見したところの"あるいは"他の新聞がそのように報道したところの"「被害者の感情に擦り寄る」ことで「社会的正義に荷担」していると自己欺瞞をおこない、偽善と意識するしないにかかわらず、そのようなことが新聞記者にとっての存在意義(生きがい)になっているように思えます。
 新聞社(新聞記者)は建前上は「真実の追求」を第一としてますが、真実の追求にはさほど関心がないと思います。新聞社は、何か遺憾な事象があった場合に、「他社」よりも「一刻も速く犯人を探すこと」を最優先します。「他社」が「本社」よりも早く「犯人を見つけた」というスクープ記事を流すと、「本当の犯人」を探すという時間のかかる努力をするのではなく、「他社」が報道したところの「犯人」についてより詳細な情報の入手につとめ、「犯人」が「有罪」である「他社」が見つけてない「証拠」を血眼になって探します。その「証拠」があやふやでもともかく報道してしまいます。並行して、「被害者」の感情を大々的に報道します。「被害者」は新聞に書かれた「犯人らしき人物」が、新聞に書かれたという理由で、「真犯人」と思い込んでしまい、「被害者」が新聞記者に語る内容はますます断定的・一方的になり、新聞報道自体があおった「被害者」の激烈化した感情を報道することにより、いわゆるマスコミの暴走が始まります。ついには「3時のあなた」的なテレビ報道に取り上げられるようになり、事実に関して新聞の報道以外にほとんど材料を持たない自称医療問題評論家やらが、一方的に「犯人」を非難する下劣な事態になってしまう。こうなると、マスコミの暴走は極点に達し、何が事実か、何が推測か、報道人にすらわからなくなります。
 報道人は暴走している最中に、「被害者の味方」をしている、「犯人」を攻撃しているという自覚で、「自らの存在意義」に大いに満足していることでしょう。ある事件が極点に達すると自然と下火になり、報道人はまた新たな熱狂の対象を求め、新たな対象が見つかると、1つ前の暴走で攻撃した「犯人」のことは脳裏からなくなります。「犯人」とされて傷ついた人が本当に「犯人」なのか、時間をかけて詳細に調査するようなことは、少なくとも新聞やテレビの各社はまずしません。

▽警察
 警察が新聞報道、テレビ報道を極度に重視していることについては多言を要しません。彼らは、報道による支持や「被害者」の感情への擦り寄りで自らの存在意義を証明することに熱心になってしまいます。これは心理学の教科書を読まなくても容易にわかることです。報道機関が「警察は被害者の救済に熱心でない」とか「犯人の疑いが極めて高い人物をなんで放置するのだ」と非難することを極度に恐れるため、非難される前に「報道された犯人らしき人物」の取り調べを開始する傾向にあります。非難されたら一刻も早く捜査に着手する傾向にあります。
 報道されない場合は、「被害者」の訴えに順応して、マスコミに先んじて行動することで、被害者を救済しているという自らの存在証明を行い、マスコミに知らせて、マスコミによる支持を得る傾向にあります。警察は「被害者」にすりより、「マスコミ」に誉められることくらいしか、良い仕事をしていると自覚できる場面があまりない。

▽法律家
 弁護士は「被害者」の「救済」が仕事。「真実を明らかにする」ことよりも、被害者に有利な証拠のみを収集して、勝つことが第一。彼らは「被害者」の感情に擦り寄り、訴訟で「勝つ」ことでしか自らの存在意義を証明できないので、とんどもない訴訟が増加し続けます。弁護士はマスコミを見方につけることの巨大なメリットをよく承知していますから、情報操作を巧みに行います。どうしようもないですね。
 裁判官。やはり自らの存在意義を証明することは自らできない人々です。昔は「真実の追求第一」の裁判官も少なくなかったと思います。今は、希になってしまったようです。裁判官は「被害者」の「救済」およびマスコミによる賞賛(非難されないこと)による以外に、自らの存在意義を確認できることがほとんどなくなってしまっていると私は思います。


▼報道人、警察、および法律家の過失を追求する装置が弱い
 報道人、警察、および法律家の過失による被害者は自ら行動しない限り放置される
 報道人、警察、および法律家の過失による被害はめったに補償されない

 ごくごくまれに、新聞がある個人に対する明々白々な誤報道をした場合に、新聞の片隅に小さく「訂正記事」が載ります。名誉毀損で裁判となり、誤報の責任がとらされることはあります。名誉毀損で提訴したという報道はよくありますが、提訴した人は「有名人」がほとんどで、少なくとも「それまで普通に仕事をしていた無名の」医師が報道機関を名誉毀損で訴えたということを自分は知りません。いわゆる「有名人」は経済的に余裕があるからそうするということもありますが、「有名人」に関しての報道は明白な中傷と証明できる場合が多いことも「有名人」によるマスコミに対する提訴が多い理由だと思います。
 医師の場合はどうでしょう。経済的には提訴する余裕はあると思いますが、「被害者」の感情がマスコミに大々的に報道され、警察が被害者とマスコミに迎合して操作に着手してしまったら、名誉毀損罪など成立するはずないのではないでしょうか。そもそも「被害者」の感情を叙述する言明を報道すること自体は、マスコミによる名誉毀損になるはずがありません。被害者の感情表出自体が「名誉毀損」になりそうにも思えません。医師には名誉毀損罪という手段は事実上ないのでしょうね。
 日本中の医師の多くが注目している福島の産婦人科医師に対する刑事裁判のことを考えるだけで、マスコミ、警察、法律家が如何に安心、安楽、安全な立場にあることかよくわかります。最終的に(最高裁にまでいくかも知れません)、福島の産婦人科医師が無罪になったとしても、マスコミ、警察が罪に問われることが有り得るでしょうか。もちろん、裁判官が「不当な判決」ということで「罪に問われる」ことは有り得ません。裁判官のそのような地位は当然のことで、今後もそうあるべきでいいのです。
 本質的な問題は警察と裁判官がマスコミによる「好意的報道」に生きる意味を見出しており、マスコミによる「非難」に過度に敏感になっていることなのです。この本質的な問題は近未来においては解決不能と言っていいでしょう。我々、普通人がマスコミ批判をすることは簡単ですが、マスコミには「報道の自由」および「国民の知る権利」という金科玉条があり、実際に警察も裁判官もマスコミを敵に回す勇気を持ちません。
 現代の諸国家の中で特に先進国では(日本はもちろん、欧米もそう)においては、立法、行政、立法の三権分立が確立しております。そのことは非常に良いことです。ところが、第四の権力であるマスコミが、司法、行政、立法の3府に対してあまりにも強い影響力を持ってしまいました。第四権力たるマスコミをマクロ的な政策(マスコミの報道を規制すること等)である程度規制することは必要と思いますが、ここではその方法について述べるのは控えます。

 あまりにも長くなりました。もう少し。

 私は思います。福島の産婦人科医師が最高裁で10年後に無罪になったとして、彼は40代半ば。彼は、それでも自らの存在意義を自ら判断できる人間ですから、自らの仕事に対する誇りを失わないと思います。彼は粛々と産婦人科医の仕事を再開して下さるのではないでしょうか。彼は、マスコミ、警察、裁判官という自らの存在意義を自ら証明できない人々により「被害」を受けたと見做すことでしょうが、真犯人は厚生労働省の政策(医療費抑制、必要な程度までの医師の増員拒否)であり、厚労省のそのような政策を承認したのは国会議員であり、国会議員を当選されたのは一般市民なのであり、要するに日本の市民が「真犯人」。つまり、ある特定の個人や団体の罪ではないということを悟るのではないでしょうか。

 自らの存在意義を自ら証明できる医師という職業に我々医師は誇りを持っております。「自らの存在意義を自ら証明できない」マスコミ人、警察、法律家の方々は構造的に我々医師よりも不幸なのではないでしょうか。マスコミ人、警察、法律家の方々を批判することは極めて容易ですが、実効性はなかなかありません。我々医師は、マスコミ人、警察、法律家の方々の構造的な不幸に同情する心情を有しているでしょうか。私はこの二ヶ月余りの考察を通して、マスコミ人、警察、法律家の方々が可哀想だとしみじみ思うようになりました。マスコミ人、警察、法律家の方々がもう少し「真実を追求する」姿勢を持っていれば、不幸な結末となった患者さんや患者さんの遺族はもっと救われたと思います。医師を有罪とすることは患者さんの救いにはならないと思います。民事で損害賠償が100億円と確定しようが、賠償額はたった10万円でも「やはり医師のミス」と「真実」が判明しようが、患者さんや遺族の「救済」になるはずがありません。(明々白々な医療ミスのことをではありません。)

厚生労働省の官僚が医師を生身の人間とみなすようになること
 このための方策は今のところ見当たりません

■■女性医師の活用について
 本題はこれでした。

 ×-間違った政策
 〇-有効と思える政策
 △-効果が小さい政策、あるいは実現するにはコストがかかりすぎて実現性に
  乏しい政策

×医学部に女性医師枠を作り、女性医師の比率が高くならないようにする
    これは明白な憲法違反。論外。

△「女性医師を職場で活かすため」の子育て支援的政策
a)急性期病院に24時間体制の保育所を設置する
 小さな子供を持つ女性医師が男性医師と同様に36時間連続勤務できるようにこのようなことをすることは、一部の病院には可能かもしれません。そのようなことができる一部の病院だけは「得」をするかも知れませんが、全国の大多数の病院で可能なことではありません。そもそも子供を36時間連続して預かることのできる保育所は世界中に存在しないし、そのような施設が子供にとって良いものとはとても思えません。36時間連続して子供をみてあげるにふさわしいのは、子供の祖父母などの肉親だと思います。

b)小さい子供を持つ女性医師に限っては、当直免除はもちろんオンコールなしとする
 これは若い男性医師や指導的立場の中堅医師の負担を増大するだけなので、医療崩壊の問題には悪い作用しかおよぼしません。

 考えに考えて悟ったことは、女性医師に絞った対策(院内保育園の整備等)だけを推進することが仮にどんどん実行されたとしても、多分その効果は微々たるものにとどまるということです。主治医制度の廃止など、女性医師に絞った政策ではなく、医師全体の問題を解決する方向が正しいのではないかと思います。

医療関係者は行政手続法を知るべし --医療崩壊の加速度を抑制するために--

澤田石 順と申します。( jsawa@attglobal.net : please mail me!)
 ブログというものは実はかなり嫌いな形式です。Wikiでと最初は考えてましたが、一度はブログもいいと考え直して、こんなことをしています。これが初回の記事となります。

 挨拶はこれくらいにします。
 本日の話題の中心課題は医療崩壊の加速度を減じるために、何ができるか。何を武器とすべきかです。
 医療崩壊ということを現実に感じたり、その現場にある方々の多数が見ていらっしゃるのは次のところではないでしょうか。

 医療の現場にある方々の圧倒的多数は、特に医師はどのブログを読んでも共感するところが大なのではないでしょうか。私は上記の三つの web page をできるだけ週に一度以上は読んでおりまして、ますます医療崩壊の加速度が増大していることを実感しております。
本田宏先生のブログへの投稿記事を少々改変して、私の意見を述べていきます。


 自分は、私人が官僚の恣意を抑制するためには武器となる法律が絶対に必要という信念を有してましたので、行政手続法が国会を通過した時に素直に喜びました。
 実は、私、学生時代から自由主義思想に染まっておりまして、日本国における行政指導というものに対して非常な嫌悪感を覚えておりました。官僚の恣意というものがとほうもなく大きいのがこの日本国。少なくとも「先進国」の中で、これほど行政指導というものが実効的な国家はないと思います。自由主義を言い換えますと、法の支配であります。政令による支配、行政指導(通知、通達という行政府の単なる「見解」)による支配、個人の恣意による支配は、自由と民主主義という我が国や「先進国」の基本原理に対立します。しかしながら、現在においても我が国においては、特に中央政府の行政組織による「通達」、「通知」という行政指導の害悪は甚だしいものがあります。
 法律によらない「中央政府」の「指導」に私人が従わない場合に不利益処分を受けることが現実にあるから、私人(例えば、諸病院、医師個人)は、厚労省の「通達」があたかも法律であるごとく粛々と従ってきました。
 官僚の恣意による「不利益処分」の行使に対抗するための法律が行政手続法なのです。このような法律の存在は医療人の間ではほとんど知られておりません。民間企業の経営者ですら、あまり知らないことが政府の調査により判明しております。

/**行政手続法より引用開始**/
(行政指導の一般原則)
32条 行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。
2 行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。
(申請に関連する行政指導)
第33条 申請の取下げ又は内容の変更を求める行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、申請者が当該行政指導に従う意思がない旨を表明したにもかかわらず当該行政指導を継続すること等により当該申請者の権利の行使を妨げるようなことをしてはならない。
/**引用終了**/

 例えば、内診問題についての厚労省の通達は行政指導であり、それ自体が私人を強制あるいは禁止する効力を法的に持ちません。看護師による内診問題に関しては、行政手続法の活用は実効的だと私は考えております。特に、産婦人科の先生方、Googleで行政手続法をキーとして検索してみてください。

行政手続法ができてもう十年以上にもなりますが、中央官庁はその存在を市民に知らせる努力をほとんどしてこなかったのではなかったのでしょうか。官僚にとって行政手続法は仕事をやりにくくするからです。面白いことに、行政手続法の所轄轄官庁の総務省は運用に関しての調査毎年実施して報告書公開してきました。どの報告書をみてもわかるには、各省庁はその存在を知らせる努力をあまりしてないということ。

 特に、産婦人科の先生方に呼び掛けます。
堂々とマスコミに対して記者会見して下さい。次のようにするのがよいかと考えます。

1) 行政手続法について法律家と十分に話合う: 「看護師による内診」が現実に医療において如何に必須なことか理解していただくことができたらば、それを禁じる通達は単なる行政府の解釈であり、法律でないから、通知(通達)という行政指導に違反したから処分されることはそれ自体不法であることを確認

2) 全新聞やテレビ局に記者会見の趣旨と日時を発表する

3) 記者会見:「●×病院では厚労省の通知が患者さんの不利益になると確信します。不利益になる証拠をもっています。証拠はこれこれの文献です。したがいまして、厚労省の通知を当院は無視します。通知を順守すると当院では分娩を中止する他ありません。中止により△人の妊婦さんが他院で分娩せざるをえなくなります。当院の外来に通院している妊婦さんの一人一人にどうかインタビューして下さい。これまで内診を実行してた、看護師の方々にも自由にインタビューして下さい。繰り返しますが、当院は、厚労省の通知を無視する判断をしました。全国の産科医師に無視することを呼び掛けるものです。なお、無視する根拠は妊婦さんの利益を侵害しないためということだけではなく、平成五年に公布された行政手続法です。法律ではない行政指導に従わないことによる不利益処分は不法だからです。」


 「看護師による内診」問題に限らず、現実の医療行為の様々の場面において、厚労省の「通達」という単なる「見解」や、医師による異状死の届け出で義務などに関する厚労省等の見解に関して、行政手続法は有用な武器になると私は思います。医療崩壊の加速度を減じるために、医師のマンパワーを増大することは長期的に有効で必須の手段ですが、時間がかかります。もっと速やかにできることがあると思うのです。日本医師会、日本産婦人科学会、日本産婦人科医会等の団体、あるいはたった一人の医師個人が行政手続法というものを研究し、弁護士などの法律家に相談した上で、行政手続法を日本国の医療崩壊の加速度を減じるために活用(厚労省による単なる「見解」の無効性を明らかにしたり、不利益処分の取り消しをしたり)していくことを提唱いたします。

以下、参考 URLです。
▼行政手続法 平成5・11・12・法律 88号
http://www.houko.com/00/01/H05/088.HTM

Wikipedia の行政手続法についての解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E6%89%8B%E7%B6%9A%E6%B3%95

行政不服審査法 昭和37・9・15・法律160号
http://www.houko.com/00/01/S37/160.HTM

▼行政手続法の施行及び運用に関する 行政評価・監視結果に基づく勧告
平成16年12月総務省
http://www.fdma.go.jp/html/data/tuchi1703/pdf/170330ki64-b.pdf
/*** 引用開始 ***/
(ア)行政指導の相手方である事業者等において、行政指導への対応が任意の協力によるものであることを承知しておらず、あるいは承知していても、当該行政指導に従わなければ許認可等が受けられないと思い、納得できないまま従ったとするものがある。(国の行政機関:1事例、 地方公共団体:4事例) また、総務省のアンケート調査の結果では、373人による回答中、行政指導への対応が任意のものであることを知らなかった者が 254人(68.1%)となっている。また、行政指導を受けたことがある者(70人)のうち、納得できないまま行政指導に従った経験のある者が 42人(60.0%)で、このうち、「行政指導には当然従うものと思っていたから」とする者が26人(61.9%)「従わないことによる行政機関との、関係悪化をおそれたから」とする者が13人(31.0%)となっており、中には、行政機関に従わない旨を申し出たが、「従うことを強制された」とする者2人(4.8%)や「従うよう執拗に求められた」とする者5人(11.9%)がいる。

(イ)行政機関においては、「行政指導であることを相手方に伝えると、1 相手方は当該指導への対応を任意のものととらえ、従わない場合があり、行政目的を達成することができない」として、相手方に当該行為が行政指導であることを伝えずに行政指導を行っているもので、事業者等に支障が生じたものがみられた(地方公共団体:1事例)。また、2 行政指導により当該申請に係る関係者の同意書の提出を求め、当該同意書の提出がない場合には申請自体を受理しないとし、申請に対する審査及び応答義務を定めた行政手続法第7条の趣旨に反するおそれ のあるものもみられた。 (地方公共団体:1事例)
/*** 引用終了 ***/

▼―官製市場の民間開放による「民主導の経済社会の実現」―
平成16年8月3日 規制改革・民間開放推進会議
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/igyou/igyoukeiei/kentoukai/4kai/13.pdf
/***引用開始***/
【具体的施策:平成16年中に措置】
医療分野における株式会社等の参入により、医療法人が、いわば家族経営から脱し、民主的な手続に基づく透明性の高い経営、個々の法人をまたがるグループ経営、規模の経済性の追求、さらには資金調達の多様化・円滑化等を通じ経営の近代化を進められるようにするため、早急に以下の措置を講ずべきである。その際、下記の規制はいずれも法令に根拠を置くものではなく、事業者に対して法的には何ら拘束力がないことを、厚生労働省も含め早急に認識し、政府全体として、その旨を周知徹底すべきである。通達は、いわゆる行政指導であって、行政指導にはそれ固有では私人に義務を賦課し、又は権利を制限する効果は存在しないことは、行政手続法においても前提とされているところである。当会議としては、医療法人への出資や議決権に関する以下の通達に拘束される理由は一切存在しないと考える。
 ア 現在、株式会社については、医療法人に出資することはできるものの、社員にはなれないとされているが、これに社員としての地位を与え、社員総会における議決 権を取得することを容認する。 厚生労働省が反対の根拠として提示している「株式会社は、医療法人に出資は可能であるが、それに伴っての社員としての社員総会における議決権を取得すること や役員として医療法人の経営に参画することはできない」旨の見解(平成3年1月17日指第1号 東京弁護士会会長宛 厚生省健康政策局指導課長回答)には、法的根拠はない。
/***引用終了***/